不安に駆られているとき、われわれは分かり易いメッセージに飛びつく!

 藤原辰史氏(京都大学准教授 農業史)の「パンデミックを生きる指針」がネットで話題になっている(岩波新書ホームページ「B面の岩波新書」に掲載)。藤原先生の『戦争と農業』(インターナショナル新書)はトラクターが戦車に、化学肥料が火薬に、毒ガスが農薬に転用されるに至った農業技術と戦争の「仕組み」を分かり易く教えてくれる。普段の生活の中で全く意識しなかった「農業技術と戦争」の関係を認識させてくれた印象に残っている新書であったので、「パンデミックを生きる指針」をすぐに読ませていただいた。初めに、『戦争と農業』に言及し、次に「パンデミックを生きる指針」をご紹介したい。

  われわれの社会にはいろいろな「仕組み」が組み込まれているが、よほどのことがないとその「仕組み」に関心を持つことはない。「競争の仕組み」「生産の仕組み」「消費の仕組み」「温暖化の仕組み」「流通の仕組み」などなどであるが。「仕組み」が巨大化するほど全体像がつかめなくなり、「仕組み」が独り歩きし、それに影響されていることにも気が付かない。そのことを分かり易く教えてくれるのが『戦争と農業』である。

  トラクターの登場によって農業の作業効率は飛躍的に伸びたが、トラクターは牛や馬と違って排泄物を出すことができない。家畜の糞尿はずっと肥料として使われ、家畜は「耕作機」と「肥料製造機」の役目をなしていた。トラクターの土壌攪拌能力はすさまじいので、土壌の回復には大量の肥料が必要であった。ここに化学肥料の登場を見た。トラクターという技術の導入は化学肥料という第二の技術を必要とし、空気中の窒素からアンモニアを大量に合成する技術によってこれが可能になった(1910年ころ)。こうして肥料メーカーが操業していくが、日本でその先陣を切ったのが水俣病を引き起こすことになる「日本窒素肥料、のちの、チッソ」である。高度経済成長の真っただ中の1960年に池田内閣の下で推進された「所得倍増計画」はあまりにも有名であるが、池田は「10年間で月給が2倍になる」と分りやすい説明を行ない、農業・工業の生産量の増大を目指した。当然のことながら、窒素肥料の登場が農業の推進力となったのは言うに及ばない。結果として、経済成長の最優先は、一方で公害の多発など生活環境の破壊や過密する都市化などの問題を引き起こしたのである。 

 さて、三番目の技術が「農薬」である。「農薬」は農業の生産性を高め、農作業からの解放という利点もあるが、その一方で環境汚染や人体への影響などの負の影響をもたらしている。

 それでは「トラクター」「化学肥料」「農薬」が戦争とどのように関係しているのか見ていく。  第一次世界大戦の塹壕戦で膠着状態になった戦況を突破したのが、戦車による攻撃であった。トラクターの技術を戦車に転用したのである。これ以降の戦争では多くの国が様々な戦車を開発し、平時のトラクター工場は戦時中には戦車工場になった。化学肥料が空気中の窒素からアンモニアを生成して生産されたように、火薬の原料となる硝酸をアンモニアから生成する技術が生まれた。戦時中は日本窒素肥料も火薬を大量に製造し、北朝鮮に朝鮮窒素肥料を創業したそうである。さらに火薬の大量生産は、一度に大量の弾丸を使って連射できる機関銃の普及をもたらした。最後の戦争技術は「毒ガス」であり、この技術も第一次世界大戦によって生まれた。塹壕戦(戦争において敵の銃砲撃から身を守るために陣地の周りに穴や溝を掘って身を隠す)では銃を使って相手を狙うことが難しくなったので、空気中に毒ガスを散布して戦った。トラクターや化学肥料は農業のために開発されたものが戦争に転用されたが、毒ガスは戦争目的で開発された。戦争終結後には毒ガスが大量に余り、新たな活路としてアメリカでは綿花畑に撒くことを始めた。綿花には害虫がつきやすく、害虫を取り除くことは重労働であったので、飛行機(1920年代には飛行機は郵便輸送や旅客用として広く使われるようになっている)で空中散布も行われた。日本もこれまでの戦争で毒ガスを使用している。こうして戦争の目的のために開発された毒ガスは戦争が終わると農業の害虫対策として使われるようになったのである。

  日常においてはその技術がどうして生まれてきたのかという「仕組み」を意識して生活をすることはほとんどないであろう。それゆえに、何かの問題が生じるまで、われわれは罪悪感を持たない。例えば、原子力発電所であるが、元来はナチスの迫害を逃れて米国に移っていたアインシュタインをはじめとする優秀な科学者たちが、ナチスより先に原爆を作らなければいけないとルーズベルト大統領に進言し、米国の原爆製造計画である「マンハッタン計画」から開発された技術である。これまでの例が示したように、農業技術から軍事技術へ転用されたり、軍事から農業への転用であるが、原爆から原子力発電所(エネルギー産業への転用)の移行も、軍事利用からのいわゆる「平和」利用ではあるが、必要であればいつでも「軍事」的に利用できる。「核兵器」と「原子力発電所」を英語では核兵器をnuclear weapon,原子力発電所をnuclear power plantというが、核兵器廃絶と原子力発電へのエネルギー依存を終わらせない限り、安心して暮らせる時代を望むことはできないのではなかろうか。「文明の利器と称されるもので、凶器と化す可能性が皆無なものがあったら教えてもらいたいものだ」と五木寛之が『大河の一滴』で述べている。

  藤原先生は「パンデミックを生きる指針」の中で、「分かり易いメッセージに飛びつく危険性」に警鐘を鳴らしている。「原子力発電は二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー」であるとか、「コストパフォーマンスがよい」とか「日本のベースロードエネルギーとして」とか、これも要注意であろう。特に、今の時代はコロナ感染症で不安がいっぱいである。「不安という感情」に訴えて、いろんなビジネスや監視装置がはびこっている。「自分で考える。これでいいのかと問い直す」一人一人の自覚が必要であろう。

  最後に藤原先生が引用されている方方さんの言葉をここに紹介する。 武漢で封鎖の日々を日記に綴って公開した作家、方方は、「一つの国が文明国家であるかどうか[の]基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」

 参考資料: 藤原辰史 『戦争と農業』インターナショナル新書 2017年 

藤原辰史「パンデミックを生きる指針」 https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

 五木寛之 『大河の一滴』 幻冬舎文庫 平成11年初版発行~令和2年46版発行 

「原子力の平和利用は可能か」京都大学・原子炉実験所 小出 裕章 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/genpatu/kub101008.pdf 

英語&教養講座の生涯学習「まなびの広場」

ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

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