オルテガ「大衆の反逆」から

 「高貴さは、自らに課す要求と義務の多寡によって計られるものであり、権利によって計られるものではない」これはオルテガ(スペインを代表する哲学者)の言葉です。オルテガ(1883~1955)はファシズム(ドイツのナチスやイタリアのムッソリーニ)がヨーロッパに広がりつつあった時代に、自国のスペインにおいてもフランコ将軍の独裁体制が確立した時代にあって、なぜ「大衆」は熱狂に流されてしまったのであろうか、と問う。そして、それは「大衆の道徳的頽廃にある」と論じている。 オルテガは人間を二つのタイプに分類している。第一は、自らに多くを求め、進んで困難と義務を負わんとする人々であり、第二は、自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々、生きるということが自分の既存の姿の瞬間的連続以外のなにものでもなく、したがって自己完成への努力をしない人々、つまり風のまにまに漂う浮標のような人々である(『大衆の反逆』17~18頁)。オルテガは社会を階級による分類ではなく、人間の種類によって分け、20世紀になると第二のタイプの人間が社会を占有する、所謂「大衆」として登場し、時代の決定を下していったとする。社会的権力は大衆の一部の代表者の手中にあり、大衆は社会の明快なビジョンも持たない社会的権力に賛同する。大衆こそが時代の決定権を持てるまでに大量に増大したにもかかわらず(1800年から1914年の間にヨーロッパの人口はおよそ3億人増大)、自分自身に特殊な価値を認めようとはせず、自分は「すべての人」と同じであると感じている平均的人間になる。オルテガは社会的権力を得たにもかかわらず、この平均人の魂の閉塞こそが「大衆の反逆」という形で社会を決定していると論じ、今日の人類に提起された巨大な問題の根本があるのだと主張する。

 オルテガはさらに賢者と愚者の相違を引き合いに論ずる。賢者は、自分がつねに愚者になり果てる寸前であることを肝に銘じている。だからこそ、すぐそこまでやってきている愚劣さから逃れようと努力を続けるのであり、そしてその努力にこそ英知があるのである。これに反して愚者は、自分を疑うということをしない。つまり自分はきわめて分別に富んだ人間だと考えているわけで、そこに、愚者が自らの愚かさの中に腰をすえ安住してしまい、うらやましいほど安閑としていられる理由がある。(同上著 98ページ) こうして大衆人を評しているが、オルテガは大衆人のことをけなしているのではなく、大衆人が自分の中に閉じこもり、凡庸の上に胡坐をかき、知的自己閉塞に陥り、思想を持ちはするが、その思想について考える能力がないと、警鐘を鳴らしているのである。そしてこの同質的大衆が社会的権力の上にのしかかり、反対派、すなわち、大衆でないものとの共存を望まない社会があると、述べている。翻って今日の世界、そして日本はどうであろうか。

  インターネットの登場で必要な情報はすぐに入手でき、大衆受けする娯楽、平易な言葉で単純化された社会批評、勝ち負けの二元論で語られる思考法など、「分かり易さ」が主流になっている時代であればこそ、オルテガが指摘するように、大衆の愚衆化にはブレーキが必要であろうと思う。「大衆の反逆」でこれからの時代を頽廃させないためにも。

  千葉雅也(哲学者 『勉強の哲学』など)は安倍政権の7年8か月を省みて(朝日新聞掲載記事参照)、「大人の議論 消えた7年8か月」と指摘する。資本主義社会の抱える特質である、数値化、効率化、成果主義がわれわれ大衆の思考にまで入り込み、成熟した議論が遠ざけられ、近視眼的ビジョンから離陸できていない時代にあっては、「じわじわときかせる言葉と思考」が求められているはずである。しかしながら、格差の拡大や社会的弱者を周縁に追いやっている、この寛容なき社会にあっての解はあるのであろうか。千葉氏は提案している。 「僕は「勉強」を勧めてきました。勉強とは、学校のように自分を固定するものではありません。今あるシステムから逃れる糸口をつかむために、学ぶ。幸い普通の人々が専門知にアクセスしやすくなった状況を、活用してもらいたいと、期待しています。最後に少し挑発的なことを。大衆社会が進んで、いま救済されるべきはマイノリティーより、むしろ、マジョリティーではないでしょうか。多数派って本人が自覚していないだけで、とらわれが多い。狭い思考の枠組みから抜け出せない」。

  「大衆が社会的中枢に躍り出た時代」にあって、民主主義の暴走はあってはならないと私は思う。大衆の真の精神が求められているのではなかろうか。

 参考図書: オルテガ 『大衆の反逆』 神吉敬三(訳)ちくま学芸文庫 1995年 

千葉雅也 「大人の議論 消えた7年8ヵ月」 朝日新聞 2020年9月1日付け 

100分de名著「大衆の反逆」 中島岳志 2019年 2月


英語&教養講座の生涯学習「まなびの広場」

ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

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