コロナ危機について少し考えてみました

 連日の暑さには参ってしまいそうである。太陽の光は、コンクリートやアスファルトに覆われた道路に反射し、エアコンの室外機からは熱風が排出され、石炭火力で調達されたエネルギー(電気)の使用は二酸化炭素を排出し温室効果ガスとなって大気を温めている。われわれの生活は気温の上昇と切っても切り離せない状況である。IPCC(気候変動に関する政府間パネル:Intergovernmental Panel on Climate Change)によると、工業化以降(1750年ころから)気温は1°C程度上昇しており、このままのペースでいくと、2040年頃には1.5°Cの気温上昇に達してしまうそうである。一刻も早い温暖化対策と気温の上昇に加担しない人間活動が望まれるところである。その一方で、これも喫緊の課題であるが、コロナ感染症対策並びにコロナによって大きな打撃を受けている経済活動の回復もわれわれが直面している地球的課題である。唯一の明るい話題と言えば、人間活動の抑制のおかげで大気汚染が改善し、世界各地で空気がきれいになっていることであろうか。

 さて、「コロナ禍」「コロナ危機」といった言説が飛び交っているが、社会経済的打撃は連日のマスコミの報道によってここで説明するには及ばない。では、「コロナ危機における権力の行使」であればどうであろうか。東 浩紀(あずま ひろき)氏へのインタビュー記事を参照しながら少し考察してみる。東氏はイタリアの哲学者アガンベンの「ウイルス危機を口実にして権力の行使が強化されていることを警戒すべきだ」を紹介しながらわれわれに警鐘を鳴らしている。権力は、われわれが安全に生きるための必要性のぎりぎりのところ、つまり生の限界線で働いており、われわれには権力が働いているという自覚がない。自らがコロナに感染するリスクにさらされている社会的状況にあっては、人は自分の生命に関心を集中させ(『個体の生』)てしまっている。そこに権力が介入し、集団を効率的に管理・統治する。GPSを使った感染者追跡アプリの導入やスマートフォンを利用した接触確認アプリなど、人がリスクにさらされる危険度低減とあらばと受け入れる。ある意味、「監視社会」への移行がわれわれの同意によって進んでいるともいえる。毎日報道される都道府県別感染者数、PCR検査を受けた人の数、重傷者数に一憂しながら、ある意味「群れ」の数として報道されている数の暴力性にも、個人的にではあるが『個体の生』との矛盾を感じてしまう。さらに東氏は次のような指摘をしている。 「人類がコロナと対するにあたって、社会的なコミュニケーションの価値、人と人が会うことの価値がきわめて低く見積もられてしまった。原因の一つはオンラインがあったから、テレワークができたからだと思います」「もしオンラインがなかったら、学校を閉鎖していいのかという議論はもっと真剣に行われたはずです。『感染対策も大事だが、子供や教師や親が集う場として学校ならではの存在意義がある』という意見が、より強く語られたでしょう」オンライン、テレワークを可能にした情報技術革新はリアルなコミュニケーションの社会的価値の低下をもたらしている事実を、覆い隠してしまっているかもしれないと個人的に思う。感染リスクを減らすための外出自粛やテレワークなど、われわれの活動には大きな制限が課されているが、リスク回避と引き換えに、ここにも権力の行使が働いているのかもしれないと、斜めから社会を見ることも必要ではなかろうか。

  コロナリスクは国境を越えている。世界は分断されるのではなく、今こそ連帯が必要であろう。東氏はインタビューの最後にこのように述べている。

  「ウイルス対策の正解は残念ながら誰も手にしていない。みんなが心のどこかでそう思っておくこと、一種の断念を共有することが、連帯への土台になるのではないでしょうか」  

参考資料:朝日新聞 オピニオン 「新型コロナ 生き延びる命とは」インタビュー 2020年8月5日 参考図書:東 浩紀 大澤 真幸 『自由を考える』 日本放送出版協会 

英語&教養講座の生涯学習「まなびの広場」

ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

0コメント

  • 1000 / 1000