ペストに遡って少し考えてみました

  歴史を遡ってみると、感染症は実に多くの人命を短期間で奪っていたことがわかる。広く知られているパンデミックといえば、黒死病と言われているペスト、スペイン風邪(スペインが発生源ではないが、第一次世界大戦下中立国であったスペインではこのインフルエンザの世界的流行が自由に報道されたため)であろう。ペストは1330年代にアジアのどこかでノミの体内に入ったペスト菌に、ノミに噛まれた人間が感染したのが始まりであった。ペストはネズミやノミの大群に運ばれ世界中に広がっていった(『ホモ・デウス』から引用)。1347年に始まった流行は、ヨーロッパ全土に波及し、ヨーロッパ全人口の3分の1から4分の1、2500万人の命を奪ったと言われている。ペストの大流行は西ヨーロッパ社会に大きな変化をもたらした。中世のヨーロッパではローマ教会(カトリック教会)の権威は絶対的であったが、十字軍の遠征の失敗や聖ピエトロ大聖堂の建築等で徐々に財政難に見舞われていた。教皇は免罪符を発行して教徒に罪の許しを与えたり、神父はペストの恐怖から町を逃げ出したりと、聖職者のモラルの崩壊は、ペストの恐怖におびえていた人民の救済にはならなかった。こうしたカトリック教会に異議を唱えたのがルターであり、ローマ教会から分離した「抗議する者=プロテスタント」が生まれた。ルターの教義はカルヴィンに引き継がれ、プロテスタントはフランス、イギリス、オランダなどに広がっていった。ローマ教会の権威の失墜は、「神は絶対」から「人間の本来の精神の解放」へと向かい、文芸復興(ルネッサンス)が起こり、美術、科学、文学、建築など多種多様な文化活動が広がっていった。宗教と文芸ばかりでなく、ペストの流行は経済的側面にも影響を及ぼした。ペストによる大量死は労働力不足をもたらし、領主は農民の労働意欲を上げるため土地を解放した。結果として農民たちは自分で考え作付けし、これが自由経済の始まりとなった。 1918年のスペイン風邪の流行は世界で4000万人以上が死亡(当時の世界人口18億人)したと推定される。スペイン風邪は第一次世界大戦の真っ最中に発生しているが、アメリカ・カンザス州にあるファンストン陸軍基地の兵営からだとされるが、ドイツ帝国は無制限潜水艦作戦によって中立国だったアメリカの商船を撃沈し、このドイツの粗暴な振る舞いがアメリカの参戦を促し、アメリカは欧州に大規模な派遣軍を送ったが、一緒にウイルスまで持ち込んでしまった。電子顕微鏡が開発されたのは1930年代であるので、風邪の原因を特定する技術もなく、ウイルスへの対処も分からず、こうした状況が多くの死者と感染者をもたらしたのであろう。実際にこのスペイン風邪のウイルスを分離することに成功したのは、流行が終わって十五年が過ぎた1935年の出来事であったそうだ。 幸いなことに、医学の進歩のおかげで天然痘は撲滅され、SARS(2002~2003年)、鳥インフルエンザ(2005年)豚インフルエンザ(2009~2010年)、エボラ出血熱(2014~2015年)等の感染症は比較的少数の犠牲者で抑え込まれた。新型コロナウイルスも新薬やワクチン開発で人類はウイルスに打ち勝つことができるであろうと期待しているが、『ホモ・デウス』の著者ノア・ハラリ氏はこのように警鐘を鳴らしている。

 「医師が新しい疾患を素早く突き止めて治療することを可能にしてくれる、まさにその手段が、軍やテロリストがさらに恐ろしい疫病や世界を破滅させる病原体を遺伝子工学で作ることも可能にしかねない。したがって、何らかの冷酷なイデオロギーのために人類が自ら強力な感染症を生み出す場合にのみ、そうした感染症は将来、人類を危険にさらし続けるだろう。自然界の感染症の前に人類がなす術もなく立ち尽くしていた時代は、おそらく過ぎ去った。だが、その頃のほうがましだったと懐かしむ日が訪れるかもしれない」 

 ウイルスによる感染症の広範囲にわたる社会的打撃が少なからず社会を変容させることは過去の歴史を見れば明らかである。今回のコロナウイルス感染症が収まった後の社会もペストほどの影響力ではないかもしれないが、その兆しの一端が見える。一部の仕事はテレワーク、ショッピングはネットで注文、マスク着用のエチケット化などが進むのではなかろうか。コミュニケーションの8割は非言語によるものだといわれているが、口元をマスクで覆った状態でのコミュニケーションでは、はちきれんばかりの笑顔は伝わらないであろう。われわれが「防疫を優先する社会」を求めるようになれば、プライバシーをある程度犠牲にしても個々人の行動履歴情報・位置情報を提供するかもしれない。ウイルスによる感染症のパンデミックはバイオテクノロジーと情報技術の躍進で、新たな脅威と社会の変容をもたらすであろう。 

参考図書:ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス』 河出書房新社

参考資料:NHK高校講座世界史 第22回 ルネサンスと宗教改革

     Yahooニュース 日本はパンデミックをいかに乗り越えたか         https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200228-00165191/

     朝日新聞 明日へのレッスン 「感染症による社会の変質を考える」2020年4月15日


英語&教養講座の生涯学習「まなびの広場」

ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

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