「モノの消費からコトの消費へ」

 新型コロナウイルスは私たちの日常をがらりと変えている。face to faceのコミュニケーションはなるべく控え、会話する場合にも2メートルの社会的距離をとり、お互いにマスクをして、コロナウイルスの見えない脅威に侵されないように最大限の警戒を怠らないよう細心の注意が呼びかけられている。この状態がノーマル化していくと、他者と接するときの恐怖心が見えない壁となり、これまでのような社会的関係性には戻れないかもしれない。一刻も早く日常を取り戻したいものである。

 このウイルスの災禍はわれわれの消費の仕方にも大きく影響していくと思われる。最近よく言われている「モノの消費からコトの消費へ」という消費の在り方は、ますます加速するのではなかろうか。例えば、ホームセンターで木工用品を買ってDIYを、野菜や季節の花々を買って自分流のガーデニング、サプリメントから歩くことで健康生活へと、消費も受け身から能動型へとアクティブになりつつある。パーツを買ってイヤリングや小物を作ってネットで販売したり、ブログを書いて発信したり、YouTubeを制作して英語の授業を提供したりと、情報技術のおかげで「私もプロデューサー」になれる時代もやってきた。従来はモノを消費すること(消費のための購入、自己顕示や他者との差別化のための消費)であった消費活動、謂わば、無限の欲望が消費を支えるなんとなく空虚な消費であったと、私は思うが、これからは「モノの消費からコトの消費へ」と、本格的に、社会は動いていくような気がする。この消費スタイルのシフトはインターネットの普及でメディアの分野でも顕著になっている。当然のことながら世代間の違いはあるが、メディアの利用の仕方はテレビ局の提供する番組を見て過ごす受け身的娯楽から、インターネットを利用して個々人で楽しむ余暇へ、特に10代、20代の若い人たちのTVからネットへのシフトは考察に値する。総務省の情報通信白書によると 10代 20代の平日TV視聴時間は2013年からの4年間でおよそ30分の減少、平日ネット利用時間はおよそ30分の増加、休日の場合にはネット利用時間がおよそ60分の増加で、TVの視聴時間の二倍にまで膨れ上がっている。

  大量の情報と映像を提供してくれるネットの利便性は否定しがたいが、利用者が情報を処理・判断に要する時間的即時性(いいね)は、発信された情報に対する受け手の「自分で考える」という行為を失わせているのではなかろうか。さらに、ネットで配信される情報(ニュースにしろ広告にしろ)は個々人がこれまでにアクセスした経歴に基づいて一方的に選択された情報であるので、個人にとって居心地のいい偏った情報にもなっているので、多様な見方や考え方に気づかないかもしれない。一方、最近のTVの報道はと言えば、どの局も似たり寄ったり(視聴者の好みに合ったポピュリズム一色)で、多数のコメンテーターが似たような意見を述べている状況である。視聴者は彼らに同調し、自分の意見を代弁してくれているような錯覚に陥り、ここでも「自分に引き付けて考えてみる」という時間的距離が失われている気がする。これからの社会を考えると、社会的多様な課題は政治家任せでなく、自分事として引き受ける覚悟を持った主権者が社会を良き方向に導いていくものと思われるので、視聴者・利用者が意見を述べ合う「場」としての提供がメディアには必要であろう。そうであれば、インターネットは、「新たなコミュニケーションの出現の可能性」という点においては、TVよりもより実現しやすいのではなかろうか。そのような「場」ができることで、ネット上で議論し考え、社会の抱える課題を自分のものとして受け止めていく。理想であるかもしれないが、こうすることで、本来の民主主義により近づいていけるのではなかろうか。もしかしたら若い人の投票率アップにもつながっていくような気がするのだが………..。 次回のブログでは、ルソーの『社会契約論』に触れながら、ルソーの考えた民主主義についてまとめてみたいと思っています。

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ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

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