「自負と虚栄心」についての小考:ジェイン・オースティンの小説『自負と偏見』から

  “I am proud of my son.” 「私は息子のことを誇りに思うわ」。 英国の友人がこのように自分の息子(息子だけとは限らないが)を臆することなく褒める場面に出くわすことがある。 個人的には、「自分の子供を誇りに思う」とはなかなか言えないが、これも文化的なものなのか、それともproudを「誇り」という大きな言葉にしてしまったことからの恥じらいなのであろうか。proud をオックスフォード現代英英辞典で引いてみると、pleased(喜ばしい), satisfied(満足している), glad(うれしく思う)と説明してある。proudの名詞はpride(プライド)であるが、「私のプライドが許さない」など日本語でも比較的頻繁に使用されている。この場合の意味は自尊心といったところであろう。言葉の持つ曖昧さゆえに、逆に、言葉に付与された文化的意味にとらわれ過ぎないことも必要ではなかろうか。

  “Pride & Prejudice”の第5章をご紹介したい。

 “Pride is a very common failing, I believe. By all that I have ever read, I am convinced that it is very common indeed; that human nature is particularly prone to it, and that there are very few of us who do not cherish a feeling of self-complacency on the score of some quality or the other, real or imaginary. Vanity and pride are different things, though the words are often used synonymously. A person may be proud without being vain. Pride relates more to our opinion of ourselves, vanity to what we would have others think of us.” 

 小山訳(新潮文庫):「自尊心の持ち過ぎというのは、とてもよくある欠点だと思うの。たくさん本を読んでわかったんだけど、人間、誰しも自尊心にはすごく弱いものなのね。あることないこと理由をつけて自己満足しないでいる人なんて、数えるほどしかいないわけ。でも虚栄心と自尊心は別ものよ。一緒くたにしてる人が多いけどね。虚栄なしで自尊心を持つことだってできるの。自尊心は私たちの自己評価から生まれるけれど、虚栄心の源は、他人にどう思われたいかということなの」 

 中野訳(新潮社):「そもそも自負心なんてものはね、人間誰でもの弱点なんだと思うわ。今まで読んだものからみても、じつに万人共通のものらしいわ。すぐ得意になるのが、人間生まれつきなのよ。あること、ないこと、なにかきっと自分に偉いところがあるような気がして、すっかりいい気持になるのねえ。そうでない人なんて、まあほとんどいないと思うわ。もっとも虚栄と自負心とは別物よ、よく同じように使われるけど。自負心があるからって、虚栄とはかぎらないわ。つまり自負心てのはね、どちらかと言えばみずからを強くたのむことよ。それに対して虚栄というのはね、他人からこう思われたい、ああ思われたいという気持ちなのよ」

  大島訳(中央公論新社):「自尊心とか自負心とかいうものは、人間誰にでもある弱点だと思うの。私はいろいろ読んでみた結果、こう確信しています━自負心は実際誰にでもあるものであり、人間性はとりわけ自負心にはよわいものであると、そして、現実のものにせよ、想像上のものにせよ、何らかの性質を根拠にして自己満足の気持ちを抱かない人は滅多にいないものであると。但し虚栄心と自負心は別のものよ、これらの言葉はしばしば同じような意味で遣われているけれども。自負心はあっても虚栄心はないという人だっていない訳ではないんだから。どちらかというと自負心は自分で自分をどう思うかということに関わって来て、虚栄心は他人にどう思ってもらいたいかということに関わって来る訳ね。」

  三人三様の訳であるが、prideには自負心、自尊心が当てられている。自負とは自分の才能・知識・業績などに自信と誇りを持つことであり(デジタル大辞泉)、「負」という字は貝の上に人の意味で、財宝を示し、人が財貨を背後の力とすることから、たよるの意味を表す(新漢語林)。みずからの財(人が自己満足を抱く根拠)を寄る辺とせざるを得ないのは、誰しも持ち得る弱さなのであろうか。この弱さゆえに、逆に、自負心・自尊心は人間を支える強さにもなっているような気がする。人間の本質的な一面をオースティンは語っていると思う。自負心が前面に出すぎると虚栄になるが、虚栄心と自負心は何らかの力が働いて均衡を保っているのではなかろうか。この力とは他者からの承認を得たいという自己欲求であるのかもしれないと、ジンメルの「橋と扉」(大澤真幸著『社会学史』)から個人的に小考してみた。扉は部屋の内側と外側を分離するものであるが、分離するのは、結合の可能性があるからで、虚栄心と自負心を分離する力として、他者からの承認が介在していると、勝手にこじつけてみた。人間は何といっても社会的存在、他者からの承認は自己存在の要ではなかろうかと思う。 

  • 参考図書:Jane Austen “Pride & Prejudice” Penguin Popular Classics
  •       中野好夫訳『自負と偏見』新潮社  
  •      大島一彦訳『高慢と偏見』中央公論新社  
  •      小山太一訳『自負と偏見』新潮社 
  •       大澤真幸『社会学史』講談社現代新書 

英語&教養講座の生涯学習「まなびの広場」

ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

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