ヘルシンキ&タリンゆったり一人旅:タリン編
バルト海に面したエストニア、ラトヴィア、リトアニアの三国を「バルト三国」と言いますが、歴史の授業でなんとなく習ったような気がしております。スカンディナビア半島とヨーロッパ大陸の間の海域で、11世紀ごろの中世後期から遠隔地貿易の拠点として発展してきた一帯ですが、東方からのゲルマン人(主にドイツ人)、西方からのスラブ人(主にポーランド人)の圧力を受け、歴史的に苦難の道が続く状況にありました。中世にはリトアニアが大国になった時代もありますが、近代においては長くロシアの支配を受けておりました。1917年のロシア革命で、1918年にリトアニアとラトヴィア、20年にはエストニアが独立しましたが、再び、第二次世界大戦後はソ連に併合されました。しかし、1985年ソ連にゴルバチョフ政権が成立すると、ペレストロイカ(社会主義経済の停滞を打破するための経済改革や歴史の見直し等の全面的政治経済改革)を断行し、東欧諸国への統制も停止するなどしたので、東欧諸国の社会主義放棄運動につながり、バルト三国も独立に至りました。
なかなか馴染みのないバルト三国ですが、杉原千畝(ちうね)と言えば歴史の教科書で取り上げられた人物なので、身近に感じられるのではないでしょうか。杉原千畝はリトアニアの日本領事館の領事代理で、ナチスドイツの迫害を逃れてポーランドからやってきたユダヤ人にビザの発給をし、ソ連政府から退去を命じられるまで、約6000枚のビザを発効し続け、ユダヤ人を救った外交官です。
さて、私が訪れたのはエストニアの首都タリンですが、ヘルシンキからフェリーでおよそ2時間です。タリン港が近づいてくると、教会の尖塔や大聖堂、美しい世界遺産の街並みが見えてきます。パスポートがあれば国境検査なしで入国できます。旧市街地の中世の街並みはそのまま残されており、石造りの壁や中世の建造物、石畳を歩いているとタイムスリップしたような気になります。しかしながら、個人的に圧倒されたのは、旧市街地と実に対照的にそびえ立つモダンな建築群です。なるほど、エストニアと言えばSkype生誕の地で、IT立国のうわさは聞いていましたが、実際に立ち寄ったレコード店のお兄さんにお話しを伺ったところ(流暢な英語でした)、行政サービスが電子化され、起業支援も厚い、まさにデジタル大国のようです。元力士の把瑠都(バルト)は今年の3月に実施されたエストニア議会選挙で国会議員になったと話題になったことでもありますが。もちろん投票は電子投票が導入され、およそ40%はオンラインで投票されたとのこと。
もっとエストニアの電子政府(e-Government)やデジタル化について知りたいとおもい、早速『ブロックチェーン、AIで先を行くエストニアで見つけた つまらなくない未来』をアマゾンで購入しました。その内容紹介は「AI、ブロックチェーン、ロボット、電子政府……「課題先進国」日本を襲う、さらなるデジタル化の荒波を、いかにして乗り越えていけばいいのか? すべてのヒントは、世界に先駆けて「未来社会」を実現したエストニアにあった! 孫泰蔵氏特別インタビュー「僕がエストニアに衝撃を受けた理由」収録!」となっています。なんと孫泰蔵氏は孫正義氏の弟でベンチャー企業の発掘、支援を行っている実業家です。明日到着予定のアマゾンからの配達が待ち遠しい!もう一度、いやこれから何度でも足を運びたい国、エストニアになりそうです。
個人的な話で恐縮ですが、empty nest syndrome (空の巣症候群)からの脱出のために始めた学び直し、あれ読みこれ読みすればするほど自分の無教養と、学びをおろそかにしてきたこれまでの人生への無念、一気に取り戻したいことへの焦り。
「ひはくれてみち遠けれどともかくも けふけふだけの なりはいはしつ」
西田幾多郎が昭和14年69歳の頃に詠んだ歌です。「日は暮れた。そして途(みち)はまだ遠い。でもとにかく、今日は今日の業(なりわい)はしただろう。晩年になっても、西田はこのようにして常に自分を励ましていたそうです。
参考資料:世界史の窓 https://www.y-history.net/
西田幾多郎記念哲学館は石川県かほく市にありますが、ぜひ足を運んでみてください。
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