「自分で考える」という自由を手放す社会についての一考;思考停止と「自由からの逃避」
4月4日の朝日新聞「私の視点」に国際基督教大学学生部長の加藤先生がリクルートスーツ(黒いスーツに白いシャツ)一色に染まった日本の就職活動、入学式の光景に一石を投じている。黒のリクルートスーツの画一化は思考停止につながる危険性をはらんでいるとのご指摘である。私は曲がりなりにも社会学の一教員であるので、社会の中の当たり前と思っていることを無批判的に受け入れるのではなく、いわば社会の常識とは違った見方があるかもしれないと、異なる物の見方ができるようになる複眼思考を前提に授業を進めている。「現に自分がいて、ある程度の心地よさを覚えるようなものに対してさえも、それが自明とは思えない、それが必ずしもそうなるとは限らない、そういう感覚を持たないと社会学にならないのです」。(大澤真幸『社会学史』)
確かに、「髪は黒、服も黒、スカートはフレアがNGでタイトが可」といった個性のないリクルート神話を作り出しているのはリクルート産業(就活支援業界や製造販売業界)であり、それを無批判的に受容しているのは社会(大学や企業や大衆)である。黒スーツの定着は1990年頃からであると言われているが、この黒化の波は就職試験に一心不乱に向き合っている現在の学生たちの就職事情を鑑みれば、就活の常識破りなどはもってのほかであろう。
「えたいのしれない慣行に無批判に従う心性は、平和のうちに断ち切っておかねばならない」との加藤先生のご主張はフロム(1900~1980)の「自由の二面性」に相通じるところがあるのではなかろうか。フロムはナチズム(ヒトラーによるファシズム体制)の勃興は社会経済的要因(第一次世界大戦の敗戦国ドイツは多額の賠償金の支払いと、その後の世界恐慌で空前のインフレと失業率に見舞われ経済は大混乱)だけでなく、社会心理的要因を指摘している。自由は近代(17世紀後半から18世紀にかけて獲得された自由・平等の人権宣言等)になって獲得されたかけがえのない権利である。それまでの中世社会では、集団のきずなが強固で職業選択の自由もなく、人々は家族や共同体の中の一員として組み込まれていたので個人の自由は大幅に制限されていたものの、帰属意識とある程度の安定感は得ていた。近代になって自由を獲得し集団から解放された市民は自己意識を持つようになり、それは不安や孤立感や、自分の無力さの感覚をかきたてた。経済的に行き詰った低所得のドイツ人は自らの自由を放棄し、ヒトラー(ファシズム)を支持することで得られる集団的心理(依存と従属)のほうになびいて言った。フロムはナチズムを指示した人々の中に、本来は解放である「自由であること」に潜む、人間の内面の弱さからくる服従の二面性を指摘している。
翻って現在の日本社会はまさに自由を謳歌できる状況である一方で、職業の選択から一生涯にわたっての人生設計まで、自己決定と自己責任の重圧がのしかかっている。AI(人工知能)や5G時代(超高速通信)の到来、電子決済による貨幣価値の認識の変化、グローバルに展開される競争的市場経済ゆえの規制緩和、国家の力をしのぐまでになった多国籍企業の存在等は、これまでにまして社会の不安要因になっている。時代の先鋒に立つ職業人と周縁におかれる賃金労働者の二極化が進むといわれているこれからの社会において、ますます所得の恩恵に預かれない階層の人々は、自由の重圧から逃れ、権威主義的性格(硬直化した思考によって権威を無批判に受け入れ、少数派を憎む性格のこと:大辞林第三版)を帯びてくるかもしれない。自由よりも服従になびきやすい社会的基盤は、思考停止に陥らない個々人の創出であろう。メディアから発信される情報をうのみにしないことは肝に銘じておきたい。
参考図書:大澤真幸 『社会学史』 講談社現代新書
E.フロム 『自由からの逃走』 東京創元社
朝日新聞 4月4日 私の視点 4月12日 ニュースQ3
0コメント