コーヒーでちょっと社会学しませんか

 スターバックリザーブロースタリー1号店がシアトル、上海、ミラノ、NYに次いで5番目のロースタリーとして東京中目黒に2月28日にオープンした。設計は世界的建築家として知られ、2020年東京オリンピック・パラリンピックの「新国立競技場」の設計者隈研吾氏である。ここは店内で焙煎されたプレミアムクラスのコーヒーのみを提供する次世代型店舗である。コーヒー好きの筆者は早速、物見遊山に出かけた。きらびやかで金ぴかゴージャスなカフェ空間が、隈研吾氏の木材を使った「和」をイメージしたデザインで包まれている。整理券をもらい待つこと二時間、やっと店内に入場できた。コーヒーそのものを楽しむことが目的であれば、わざわざ足を運ぶこともなかろうが、コーヒーに絡めて現代社会の消費文化を問うことで見えてくるものがあるかもしれない。「単なる好奇心で行きました」と言ってしまえばそこで思考停止、あえて一考したい。 

 ジャン・ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』の一節をお借りする。 「幸福な時にも不幸な時にも人間が自分の像と向かい合う場所であった鏡は、現代的秩序から姿を消し、その代わりにショーウインドウが出現した。そこでは個人が自分自身を映して見ることはなく、大量の記号化されたモノを見つめるだけであり、見つめることによって彼は社会的地位などを意味する記号の秩序のなかへ吸い込まれてしまう。だからショーウインドウは消費そのものの描く軌跡を映し出す場所であって、個人を映し出すどころか吸収して解体してしまう。消費の主体は個人ではなくて、記号の秩序なのである。……消費者にしても同じことで、項目や記号を次々と変えて自分を個性化する過程を演じている。…..消費者は自分がもっているモデルのセットとその選び方によって、つまりこのセットと自分とを組み合わせることによって自己規定を行う。この意味で、消費は遊び的であり、消費の遊び性が自己証明(アイデンティティ)の悲劇性に徐々に取ってかわったということができる」。 

 便利なモノに囲まれややもすると何が必要なのかもわからないくらい物質的に豊かな社会に暮らしていると、われわれの消費そのものが広告や宣伝、デザイン性等の市場(マーケティング)に依存しているといえよう。欠乏や必要を満たすために行われる生産の結果というより、企業の経済活動の維持のための消費という側面が強まっている。ボードリヤールが論ずるように記号を消費することが消費である社会なのかもしれない。例えば、Aというカフェに行ったよ、Bカフェにも、Cカフェにも……カフェが記号化している、いわば、記号の消費であり、それは幸福感や顕示を示す記号の消費になっているのかもしれない。もっと踏み込んでいえば、消費を通じて幸福になるのではなく、幸福になれると思えるような消費の社会であり、このような社会の先には空虚さが残されているかもしれない。一見自由な選択を謳歌しているような消費社会はマスメディアによって掻き立てられ消費を煽られている。そうしないと資本主義は延命できないのだから。 

 さて、スターバックスについて少し話しましょう。1960年代のアメリカは人種差別主義に対する公民権運動、女性解放運動、若者の親世代に対する反抗文化の開花(ジーンズ・Tシャツ、薬物、ロックンロール等)、環境保護運動など、自分は何かに反抗しているのだと訴える人がたくさんいた。便利さが重要しされ、市場はできあいの冷凍食品やインスタント・コーヒーで溢れ大量生産された食にたいする反対運動も起こった。スターバックスの創設者である、ボールドウィンもその一人で、彼は売ることが本物(オーセンティック)を追求するという精神をダメにしないように、彼が本物と信じるその物だけを求めた。食の価値を見直そうという高まりの中で、彼は1971年にコーヒー豆の自家焙煎カフェをシアトルのパイクプレイス・マーケットに開いた。本物志向の文化人たちに愛されるカフェとしての繁盛であったが、ハワード・シュルツとの出会いがスターバックスの理念を消し去ってしまった。1987年にシュルツに売り渡されたスターバックスは販路拡大に走り、本物のコーヒーというよりおしゃれな飲み物を重視したフラペチーノのようなドリンクが主役となっていったのである。(詳しく読みたい方は『お望みなのはコーヒーですか?スターバックスからアメリカを知る』をご参照ください)。

 スターバックスは現在およそ2万8千の店舗数で世界に君臨する大企業であるが、リザーブロースタリーの展開は消費者ニーズを読んでのことであろうか。最近では第三の波(サードウェーブ)がコーヒー業界に押し寄せている。第一の波は安価なコーヒーが行きわたりコーヒーが大衆化した時代、第二の波は大手コーヒーチェーンが良質の味を楽しむことを提供したカフェの時代、そして第三の波は豆の産地や農園を重視し、豆に合わせた焙煎をするなど、豆の個性を大切にした高品質なスペシャリティコーヒーを追求し提供しつつある。この流れの中で自家焙煎のカフェやカフェバリスタが職業として人気を博している。華やかなカフェ文化産業は一時の幸福感を提供してくれてはいるが、さて、この豆の原産国に思いを馳せてみることで、何か社会的課題が見えてくるのではなかろうか。一杯4百円のブレンドコーヒー(約10グラムの豆使用)から生産者の手元にはどれくらい支払われているのであろうか。見田宗介が『現代社会の理論』で指摘しているが、「消費社会は遠隔化と不可視化という自己欺瞞の装置を通して環境と社会構造の臨界点に達しているといえよう。消費社会の内部にいる人々にはその実態が可視化されていないのが現実である」。次回のブログで詳しく見ていきたい。

 参考図書:ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』紀伊国屋書店  

     ブライアン・サイモン『お望みなのはコーヒーですか?スターバックスからアメリカを知          る』岩波書店

英語&教養講座の生涯学習「まなびの広場」

ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

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