経済成長ってなんだろう

「経済」という言葉は中国の古典にある「経世済民」が語源だそうです。これは「世を經(おさ)め民を濟(すく)う」ことを意味しているとのこと。つまり、世の中をよく治めて人々を苦しみから救済する政治のあり方でしょうか。翻って、現在の政治はいかがでしょうか。「経済」という言葉に人びとを救済する精神が宿っているでしょうか。「成長」という言葉にはすくすくと伸びていくポジティブなイメージがあります。そしてこれが経済と結びつき「経済成長」という響きのよい言葉として、いたるところで耳にします。いったい「経済成長って何でしょうか」と学生さんに訊いてみると「GDPが上がることじゃないですか」と即答します。では、「GDPって何ですか」と尋ねると「国内総生産」と自信一杯に応えてくれます。しかし国内総生産という言葉は知っていてもその意味するところが分かっていません。きっと、多くの人が頷いてくださるのではないでしょうか。

 内閣府長期経済統計から10年間隔で数値を拾ってみました。 https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je12/h10_data01.html (ワードでグラフを作成しましたが残念ながら移動できませんでした)

1955年(8兆8千憶円)1965年(34兆6千億円)1975年(156兆1千億円)1985年(334兆6千億円)1995年(504兆6千億円)2005年(505兆3千億円)2015年(500兆6千億円)2015年に関しては旧基準値を使いました。国連が定めた新基準が使われるようになり、研究開発費の加算などが盛り込まれ、新基準値では532.2兆円になり、新基準では従来より1~3%ほど増加するそうです。1995年頃までGDPは勢い良く伸びています。その後はほぼ停滞しておりますが、果たしてわれわれの社会は豊かになったといえるでしょうか。 GDPとは[ gross domestic product ]の略ですが、国内における経済活動によって生み出される付加価値の総計のことです。国内の経済活動の規模や動向を示す指標として用いられていますが、前年に比べての増減が経済成長率として公表されております。わかりやすい例でいえば(私の好物ですので悪しからず)、サツマイモを10キロ生産した農家が1000円で青果店に買い取ってもらい、青果店は1500円で菓子製造業におろし、製菓店が100グラムづつの袋詰めにして100袋の製品にして一袋100円でお店に出したら10,000円の売り上げになります。ということは、1000+500円+8500円=10000円になります。これは実に単純化した付加価値の計算ではありますが、GDPは付加価値の総和であるということはお判りいただけましたか。もちろん農家はイモの苗を購入したり肥料を与えたり、工場では従業員への賃金や生産コスト等を差し引かなければなりませんが。これだけで見ると経済成長率の増加は好ましいことのようにありますが、ネガティブな消費(インフルエンザの大流行でマスクや薬が爆発的に売れるとか、もしかしたら軍事目的の研究費が膨らんだとか)も含まれます。現在ではよくシェアリング(share分担)という言葉が聞かれますが、カーシェアリングや、洋服の着回しのように共同利用が浸透してくることは、エコロジカルな面からは歓迎されます。また、家庭菜園が人気で野菜はほぼ自宅で賄う人が増えてくれば、地球環境に与える負荷や生活の豊かさの観点からは大変良いことですが、GDPの増加には結び付きにくくなります。

 さて、今の社会はかなりのことが数値化され、数字で表されることで妙に納得してしまいがちになりますが、そこに思考停止に追い込まれる危険性が潜んでいるような気がしてなりません。例えば、話題になっております、人口減少、出生率の低下、高齢化はとてもマイナスに語られています。経済成長のマイナス要因であることは間違いありませんが、社会が成熟してくれば、医療体制が整っていれば、必然的現象ではないでしょうか。ドイツの面積はおよそ35万7千平方キロメートルで人口は8300万、イギリスはおよそ25万平方キロメートル人口6600万です。日本は37万平方キロメートルの国土におよそ1億2700万です。平川克美著『経済成長という病』から引用させていただけば、「出生率が低下しているというより、自然な状態へと回帰しているというべきではないか。出生率が低下し、人口が減少してゆく社会の未来は、必ずしも暗いものではなく、むしろ人口適正社会というべき状態を作り出し、人口増加社会が持っていた多くの問題を解決する。」 日本にだけ、経済先進国にだけ目をやると人口は減少しておりますが、地球規模では人口増加は止まりません。きっと地球はこれだけの人間を養っていくのに限界に来ているかもしれません。資源は有限だし、大気だって換気するわけにはいきません。

「経済成長と幸福との関係を一考してみよう」と試みましたが、手ごわい課題であったことを実感しました。少なくとも、経済成長頼みの社会のあり方は曲がり角に来ているということを、一人一人が認識し、豊かさの価値転換の時にきているような気がします。 今朝の朝日新聞の「折々のことば」は私には実に耳が痛いです。 「最も賢い処世術は社会的因襲を軽蔑しながら、しかも社会的因襲と矛盾せぬ生活をすることである」(芥川龍之介)鷲田清一氏が解説をしております。「社会の歪(いびつ)、もしくは不全を、憂い顔で、しかも自分は安全地帯に身を置いたまま批判するというのは、批評家の偽善であり狡知(こうち)であると、作家は自戒の念を込めつつ揶揄(やゆ)する。だが、噂話のような情報を基に、にぎにぎしく同時代の政治を嘆く現代人も、意識せずしてこの批評家の列に連なっているのだろう。

 参考図書:平川克美 『経済成長という病』      


英語&教養講座の生涯学習「まなびの広場」

ANAで勤務した後、結婚、子育てしながらの専業主婦から一念発起し英語の勉強を始めました。テンプル大学日本校の大学院で英語教育を修了した後、英国のエセックス大学大学院で社会学を修了しました。宮崎市に教室を開設しております。小学5・6年生、中・高生からシルバー世代まで対象の教室です。基礎英語から時事英語、社会を見る眼が養われる教養講座を開講しております。詳細はブログで随時紹介しております。

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