6月の教養講座では「格差」について考えてみました
6月の脳活・教養講座では「格差」をキーワードに社会を概観した。経済格差、教育格差、労働格差、賃金格差、医療格差、地域格差などなど、「格差」による社会的不平等が問題視されるようになっている。そもそも格差ゼロ社会は想定外であり、社会には一定の格差は存在するであろうが、どこまでの格差であれば容認でき、それほどの不公平感をもたらさないのかであろうか。新型コロナウイルスの蔓延によって「格差」が顕在化している昨今、考えさせられる社会的課題であろう。今回は格差拡大の要因であるといわれている経済思想「資本主義」と「新自由主義」に触れながら経済格差について概観してみる。
経済思想の歴史的転換点と言えば1989年のベルリンの壁崩壊によるソ連を中核とした東側陣営の社会主義体制が崩壊し、国家主導の計画経済から市場の競争力にゆだねて利潤を獲得していく欧米型市場経済である「資本主義体制」へと経済システムがグローバルにシフトしたことであろう。 そもそもわが国の場合「資本主義経済」はいつから始まりどのような発展をしてきたのであろうか。
人類の歴史をさかのぼってみると、人々は欲しいものがあると物々交換をしていたが、次第に、米・布・塩が貨幣のような役割を果たすようになり物品貨幣として使用されるようになった。その後の歴史的変遷を経て、徳川家康が初めて貨幣制度を統一し、金貨・銀貨を作ったとされている。貨幣が使われるということは商品交換が行われていることを意味し、必然的に富を蓄積する者が出てくるが、商品(サービスを含めて)の生産と交換が市場経済システムを占める割合が飛躍的に伸びたのは、わが国の場合であれば、明治以降であろう。 1871年の「廃藩置県」によりこれまでの封建制のもとでの「領主」が廃止され、土地売買が解禁され、1876年の廃刀令、秩禄処分により武士階級も廃止された。これに旧武士階級が激怒し、西南戦争に代表されるように各地で反乱がおこり、その戦費を賄うため政府は不換紙幣を増発し、結果としてインフレーションになった。この経済の立て直しに着手した松方大蔵卿は増税と歳出抑制の緊縮財政を行い、市中に出回っていた不換紙幣を回収するなどして財政の立て直しを図りインフレーションは収束したものの物価の下落を招きデフレが生じた。その結果、農村では生糸や繭、コメなどの農産物の価格が下落し、窮乏した農民は土地を売って自作農から小作農になっていった。小作農になった農民は生産手段である土地から切り離され、自給自足で支えられていた生活手段からの切り離しと相まって、農村から都市への労働力の移動が起こった。殖産興業政策で紡績会社や機械・金属産業などの進展に伴いこれらの農民は賃金労働者として吸収され、重要な労働力の供給源になっていった。こうして資本主義の基盤である資本家(資本を使って工場を建設したり、原料等を購入できる生産手段の所有者)と労働者(自分の労働力しか生産手段を持っていない)という資本主義の条件がそろっっていった。1906年の就業構造(経済企画庁https://www5.cao.go.jp/j-j/wp/wp-je00/wp-je00bun-2-0-2h.html)を見ると、第一次産業(農林水産業)の構成比が61.8%、第二次産業(鉱業、製造、建設業)が16.1%、第三次産業(卸・小売業など)が22.2%であったが、近代化の進展に伴い農業社会から工業社会へと産業構造はシフトしてきたが、それに伴いかなりの部分が商品の生産と消費を通じて行われるようになった。家庭内労働であった介護は家庭の主婦から介護施設の介護福祉士へと貨幣によって労働の移動が行われるようになったことからも明らかである。
カール・マルクス(1818-1883)は産業革命以降の工業社会での格差の拡大(資本家と低賃金労働者の格差)、悪化する労働環境、過密する都市、石炭の煙などで悪化する環境汚染の状況を見て、『資本論』を書き、そこで資本主義社会の特徴を分析している。『資本論』の冒頭はこうして始まる。
「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」
マルクスは労働力をも商品とみなし、労働力という商品だけはその商品自体が価値を生むという性質を持っていると論じた。資本家は労働者に賃金を払う(例えば一日1万円)<実際に労働者が生み出した価値(1万3千円)ここでの3千円は資本家にとっての剰余価値となる。この剰余価値は労働時間を長くすることで得られる絶対的剰余価値(例えば8時間労働であるが、5時間で1万円の賃金を生み出すとすれば、残りの3時間分3千円は資本家にとっての剰余価値となる)と、生産力の増大から得られる相対的剰余価値がある。例えば画期的な機械を導入することで、より多くの商品を生産することができるとすれば、5時間の労働に匹敵する価値を3時間で生み出せるようになる。こうして資本主義社会では労働時間と生産性の向上で利潤を増大させている。翻って昨今の労働環境を見てみると、長時間労働による過労や、生産性向上によって生産量の増大がもたらされた結果、労働者の削減が行われたりと、利潤追求のために労働者への負担が課されている。
国際競争力が加熱するにしたがって低賃金労働を求めて、資本はグローバルに展開されている。 わが国でも1980年ころから民営化や規制緩和による競争原理で市場経済の活性化が図られているが、その結果として賃金労働者の疲弊、賃金格差などが社会問題となっている。新型コロナの蔓延で打撃を受けている企業はますますスリム化して人を減らしたり、危機対応のために内部留保を増やしていくであろう。あらゆるところに競争原理を導入し、賃金労働者を徹底的に商品とみなす「新自由主義」という経済思想がわれわれ人間の考え方にまで入り込んでいないとは言えないであろう。手っ取り早くとれる資格で商品価値を高めて労働市場に売りに出ようとする社会の傾向は、ベニヤ板を巻き付けて見栄えよくした取り繕いの労働力商品になってしまっている危険性を個人的に感じている。白井氏が指摘しているように「人間は資本に奉仕する存在ではない」と、私は思う。「新自由主義的経済」の価値観にわれわれの精神、考え方、ひいては魂までもが飲み込まれてはならない。
参考図書 カール・マルクス 『資本論』岡崎次郎訳 国民文庫
白井 聡 『武器としての「資本論」』東洋経済
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