人生100年ならばこその生涯学習
年齢を重ねるに従って己の浅学(せんがく)を思い知ることばかりの日々である。夏目漱石の『私の個人主義』を読んだ。漱石先生のような偉大な文学者でさえも若かりし頃は霧の中に閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んで、嚢(ふくろ)の中に詰められて出る事の出来ない人のような気持の時があったそうである。このような状況をどう克服されたのか?「自分の鶴嘴(つるはし)で掘り当てる所まで進んで行かなくては行けないでしょう」と学習院の学生を前に話をされる。「掘当てる所まで行く」それが自身の幸福のために、絶対必要ではないかと思う、と力説しておられる。その過程で「修養」が磨かれるのであろうと、私なりにおもう。
人生半ばを過ぎ、これといった専門分野もなく、技術もなく、袋小路に追い込まれているような己の状況を嘆いてはおれない。まずは鶴嘴を持ち上げて掘り当てる所まで行こう。そのうちに腰を下ろす所に行きつくことを楽しみにしながら。
本棚の整理をしていたら、『わたしとみんなの社会学』が本棚の隅っこに立っていた。まえがきにこう書いてある。「学問はときに世界の見え方を変え、人生を生き直すことを可能にする。学問にはそのような力がある」(社会学者 大澤真幸)。学問というと大層な言葉のようであり個人的に気がひるむが、「書物を読み学ぶ」ことを通して、人生に深みが出てくるのであろう。人生100年ならばこその生涯学習、そのうちに自分の落ち着くべきところが見つかるであろう。
さて、まえがきをめくると、見田宗介(社会学者 東京大学名誉教授)と大澤真幸の対談がはじまる。テーマは「われわれはどこから来てどこへ行くのか」対談のはじめにはこのようなメッセージが書かれている。
「進化のいちばん太い幹は、共生から出てきたことをいま一度確認する必要があります。お互いに殺し合うのではなく、お互いに活かし合おうというところに人間の起源がある」
「他の存在を尊敬すると同時に自分の存在を尊敬する」これが漱石先生の言う「私の個人主義」である。
参考図書: 夏目漱石 『私の個人主義』講談社学術文庫
大澤真幸 『わたしとみんなの社会学』左右社
*こんなに素敵なお花のブーケを頂きました。元気が出ます。
0コメント